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泣けたどころではない。途中からずっと馬鹿みたいに泣きっぱなしだった。電車の中で読み始めてすぐに、あぁイカン、胸が締めつけられるこの「タマらない感」は何だろう、と一旦読むのを止めて家に帰ってから夜中、家族が寝ている横で小さなランプを点けてジックリと読んだ。リリー・フランキーが幼少からの、オカンそして時々オトンとの関係を綴った、切なく狂おしい長編私小説。
リリー・フランキーといえば90年代前半、ちょうどグランジ全盛期で音楽雑誌も熱かった頃を思い出す。当時、今でも名盤と呼ばれるようなとんでもないアルバムが、毎月立て続けにリリースされるのでロッキンオンやクロスビートの盛り上がりようは凄いものがあった。当然自分も貪るようにそれらの雑誌を愛読していたのだが、クロスビートで彼が連載していたコラム「死亡遊戯」(後に『美女と野球』として刊行)と、CDレビューのトップに掲載されていた変態的イラストも密かに楽しみにしていた。
むろん、無名のリリー・フランキーなる人物が何者かなのかは、まだほとんど知られていなかった。有名アーティストを徹底的にお下劣にアレンジした極悪イラストと、エログロ満載の爆笑コラムから、このオッサンはきっと完全にイってしまった変人に違いないと勝手に思い込んでいた。実際、そのペンネームからヘンな外国人だと勘違いしていた読者もかなり多くいた。ブライアン・バートン・ルイスなる茨城出身のアメリカ人もコーナーを持っていたしね。
なので数年前、初めてTVのバラエティー番組でそのリリー本人を見たときはかなりビックリした。なななっ!?こんなにスマートで、かっこいいスナフキンみたいな佇まいのオジサンだったとは。自分の中ではダメ人間のイメージを作り上げていたので、ちょっと裏切られた気分にもなった。世の中を達観したような視線と、真実をサラリをコメントできる芸才が、あまりにも自然でそこがまた憎い。
しかしそんな彼が福岡の田舎、筑豊の小さな炭鉱町の出身であること、その人間の本質が約40年に亘るオカンとの関係性から発せられていることを、この本で初めて知った。何人たりとも侵すことのできない二人の間を流れる時間。家族や世の中の弱者を思いやる優しい眼差し。社会の不条理に対するやるせなさ。どこまでも深い後悔の念。そして、美しく普遍的な言葉の数々。あぁこのリリー・フランキーって人は!これほどまでに人の心を打つ作品に出会えることは、滅多にない。
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