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佐藤洋二郎の作品はどれを読んでも、いつも同じフレーズが出てくる。「どう生きても大差はない」「どう生きたってたいしたことはない」。それは物語中の主人公の言葉であったり、エッセイでの本人の告白であったりする。放浪〜飯場〜土建業の立ち上げ、などを経ながらもずっと小説家になることだけは諦めず細々と書き続けていたという作者の、数々の葛藤と紆余曲折の果てに辿り付いた結論がこれだ。
20代の頃は、小説を書く人間になりたいばかりに、人生をどう生きていいのかわからず迷いに迷っていたと述べている。大きな負債も抱えたし、
人様に足元を掬われたこともあった。心身のバランスを失うくらいに、いやというほど悩み苦しんだので、もうあんな気持ちになりたいくないという感情があり、最終的には物事をあまり深く考えない人間になったという。
私個人の場合でいうと、一時期どうしようもない会社に勤めていたことがあり、当時はそこでのつまらない仕事も、ギスギスした人間関係も、何もかもが耐え難く辛かった。毎日まるで自分の人生をドブに捨てているかのような気分になり、このままだと間違いなく精神を病むであろうと、何とかその場所から逃げたいがために努力を重ね、運もあったのだろうか、少しはマシな状況へと抜け出すことが出来た。
そのような経験があるので、「どう生きても大差はない」という言葉には共感できない部分がある。なのに何冊も読んでしまうのはなぜだ。この作者も「小説」というものに必死にすがりついて生きてきたはず。小説を書くということが成就されなければ、また違った人生になっていただろう。それでも繰り返しこの言葉が出てくるということは、50過ぎというこの人ほどの年齢になってみて初めて見えてくる何かがあるのであろうか。作者自身も含め、周りの人たち全てに当てはめて語られているのであるならば、そこに真実があるのかもしれない。
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