| 1998年に解散した元祖ミクスチャー・ヘヴィロックのフェイス・ノー・モア。看板ボーカリストであったマイク・パットンの野太いハードコアな咆哮や、肉声による奇天烈前衛的な効果音、そしてブルージーなメロディまでを操る変幻自在な唱法は、KORNやSYSTEM OF A DOWNなどのその後のバンドへ多大なる影響を与えた。
当時のサイドプロジェクトでもあったMr.Bungleを経てのFantomasでは、ロックというフォーマットすらも解体し、元メルヴィンズやスレイヤーのメンバー達による超絶サウンドと、もうひとつの楽器ともいえるような声のオーケストレーションが、凄まじいテンションでぶつかり合う。もはや唯我独尊の境地。しかも最新作は奈良美智だらけのアートワークがまた素晴らしい。
僕はマイク・パットンを地元の尼崎で見たことがある。ある日、アマ(尼崎)の商店街のお好み焼き屋で豚玉を食べているとき、ふと横を見たらバッタリ!なんてわけではない。フェイス・ノー・モアの2ndと3rdアルバムのリリース当時、どちらも日本ツアーにおける関西公演の会場が尼崎アルカイックホールだっただけの話であるが。
いやしかしマイク・パットンは半端なく格好良かった。コアな曲で上半身をグラインドさせながら天に向かって絶叫する様は、まさに男前。どう考えても当時過小評価されていたボーカリストである。終演後、そんな男前の彼をどうしてももう一回見たくて数人のファンたちと、いわゆる「出待ち」をしていた。当然、昔からよく知ったる尼崎のホールなので、どこから出てくるかも把握している。
するとイベント現場の責任者らしい兄ちゃんがファンたちに向かってやたらとエラそうに、道をあけろとか、そこに立つなとか命令している。天下の公道で何でオマエにそんなこと言われなアカンねんと無視していたら、今度は僕を目の敵にしたように命令してくるではないか。こちらは地元でもあるし(あんま関係ない気もするが)、「やかましワリャア!ボケ!」とチャリンコにのったまま喧嘩を売る。
その騒ぎに次第に人だかりもできてきて、これは引っ込みがつかんなと思いつつ、こっちもかなり頭にきていたので、捨ててもいいようなボロボロのチャリンコであったし、このまま投げつけたろうかいなと考えていたら、奥の方からどう見てもヤクザ丸出しのイベント屋のボス(しかもパンチパーマ)が、「おーい、どないしたんや?」とガニ股で歩いてくるではないか。こりゃヤベー、帰ろうっとくるりと方向転換した瞬間、メンバーを乗せたリムジンがサササーっと出てきた。
ちょうど自分が走りだしたのと同じ方向に、国道2号線をほんの2〜3秒であったがチャリンコとリムジンは並走した。そしてそのとき、後部座席のスモークガラスがスーっと下りて顔を見せたのは、なんと頭にタオルを巻いたマイク・パットン!興奮のあまり、「バイバーイ!」と絶叫しながら手を振る僕に、彼はウィンクして手を振ってくれた。全然音楽と関係のない話ではあるが、やっぱりマイクは男前だった。 |