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写真は大好きであるが、写真家についてはあまり、というかほとんど知らない。これってロックは好きだけど実はバンドは知らないと言っているようなもので、たとえばFMを流しっぱなしにするのは気持ちいいけども、あえてCDは買わないという程度のものなのかもしれない。とはいうものの、特定の写真家の写真集だけは持っている。森山大道と佐内正史。これまた大メジャー、直球ど真ん中なのかもしれないが。
森山大道のモノクロ写真は、なぜあんなにもエロスが充満しているのだろう。建物・路地・看板、そこに人物が登場しなくても、荒い粒子で構成された灰色のトーンを眺めていると、暴力的なまでの艶かしさにいつも胸がザワザワする。そして佐内正史の何でもない住宅街を撮影した写真を見ると、柔らかな光や空気の向こうに、どうしようもなく人々の息吹や希望を感じ、胸が締め付けられる。これまた人物が登場しなくても、だ。
僕自身、かなり昔から写真を撮ることも大好きではあったが、特にテクニックについて勉強することもなく、また機材のこともほとんど知らずにいた。ようやくここ3年ほどで、ちょっとは意識して撮るということをするようになり、デジカメではあるがパシャパシャと撮るようになった。もちろん、いいなと思えるのは百枚に一枚程度で、写真の難しさにいつも挫けそうになるのだが、ひとつだけ確実に分かったような気がするのは、とにかく「量」を撮ることが何よりもまず大切なのではないか、ということ。
どんなに素人であってもガンガンに撮りまくれば、千枚に一枚ならそれが奇跡のような偶然であれ、素晴らしい瞬間が切り取れているのではないか。無論、こんな乱暴な理論はプロの写真家からすれば、話にならないのかもしれない。フレーミングや露出やらを知らずに、素人が分かったようなことを言うなと怒られるであろう。ただし、写真という表現手段が一瞬を切り取るものである限り、こういった極論もあってもいいのではと感じていた。
森山大道の「昼の学校 夜の学校」は、彼が講師として受け持っている大学や専門学校での講義の内容や、その場での生徒との対話をまとめたものである。「どうやって稼いだり、食べたりしているんですか」「イヤな気持ちのときにも写真は撮るんですか」「路上でトラブルにあったことはありますか」などの素朴な質問から、細かなプリントのテクニックについてまで、若い学生の質問に対して森山大道は真摯に答えている。
熟慮と経験から導きだされた含蓄のある言葉と、講師対生徒という真剣勝負の場において全力で対峙する熱気が、そのまま本に落としこまれており、思わず時間を忘れるほどにのめり込んでしまった。「スナップ・ショットの場合、理屈はひとまずおいておいて、とにかく一枚でも多く撮らなきゃ」「今日唯一の皆さんへのアドバイスは、撮り続けるということ」「撮った写真の量がハンパじゃなくなったとき、その中から質が生まれてくる。その量と質が結局、その人の正体であり表現の形なんです」という箇所が頭から離れない。ほらやっぱりそうなのだ。って、何かバチあたりな勘違いをしている自分かも。
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