| 中高時代の親友Wが死んだ。
日曜日の朝、友人のタコからの電話で訃報を聞き、泣き崩れた。文字通り本当に泣き崩れた。号泣する父親の姿を初めて見た息子も動揺していた。数年前から心身の調子を崩していることは知っていたが、日常の細々とした忙しさにかまけて、しばらく連絡をとっていなかった。しかしちょうど一週間前にカメ吉からのメールで、Wの調子がかなり悪くなっていることを改めて知り、近々会いに行こうと考えていた矢先だった。
すまない、ゴメンな、ゴメンなと何度も心の中で謝りながら、己の愚鈍さを呪い、身勝手さを悔いた。彼が一人で最期、どのような気持ちで死んでいったかを想像すると、胸が張り裂けそうになる。自分さえよければいいのか。離れているから無理なのか。それぞれの生活があるからしょうがないのか。果てしない後悔の念と悲しみだけがこみ上げてくる。
あちこちに連絡を回した後、つい最近まで彼と時々会っていたタコのケーキ屋へと、須磨まで車を飛ばした。ハンドルを握りながらいろいろな事を思い出し、ずっと涙が止まらなかった。文化祭のバンドは、あいつがボーカルで俺はドラムだった。神戸と尼崎を往き来して、しょっちゅうお互いの家に泊まり合った。うちのオカンともすごく仲がよかった。明るいあいつは、いつもグループの中心だった。
タコの店の前に着いてクラクションを鳴らすと、すぐさま目を真っ赤に腫らした彼が出てきた。昔、宅配便のバイトをコンビでしていた頃のように2人でケーキの配達に行った。垂水の山を車で抜けると眼下に光る海が見えた。Wが最近どんな感じだったかを聞いて、やりきれなくなった。せめて誰か一人、傍であいつを支えてくれる女性がいたならと痛切に思う。人生が狂い始めるときの僅かなほころびに、なぜ誰も気付くことが出来ないのだろう。あの頃、こんな日が来ることを誰が想像できたというのか。
お通夜には東京からも仲間が駆けつけた。皆で飲んだ。月曜の告別式と出棺は、仕事があるので自分も含め、誰も出席できないということだった。しかし夜中に帰宅後、やっぱり最後まで見送らなければと思い、仕事は休むことに決めた。もう仕事などどうでもよかった。告別式は自分とカミさんと、東京から来たガー君の3人で参列した。棺には一杯の花といっしょに、むかしライブの打ち上げで撮った写真を入れた。そして、火葬場で扉が閉まるその瞬間、俺は叫びそうになった。それはあいつに対してなのか、自分に対してなのか、それとも世の中に対してなのかは分からない。けれどもあの時、どうしようもなく、本当に叫び声をあげそうになった。
何もかもが終わってカミさんを先に帰し、東京に戻るガー君を三宮まで送りがてら一緒に飯を食べた。生きていくだけで大したものなのだと、彼は言っていた。その後ひさしぶりに、一人でセンター街を歩いた。思えば高校生の頃、何百回この通りをあいつと歩いたのだろう。最近、あらゆることが一周して元の地点に戻ったかのような気がする。多くのものを得て、失って、二周目に入ろうとしている今、目の前の景色は違ってくるのかもしれない。俺たちはこれから一体どこへ向かおうとしているのだろうか。
お別れは 突然やってきて すぐに済んでしまった
いつものような なにげない朝は
知らん顔して僕を起こした |
| (ヒッピーに捧ぐ/RCサクセション) |
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