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君が僕を知ってる

2006.07.15
ロックやポップスにおいては様々な才能と呼べるものがある。ドラマティックなメロディを創る、万人を癒す歌詞を書く、炎のごとくギターを弾く、嵐のようなドラムを叩く、などなど。しかしどんな歌メロやテクニックも、絶対的な魅力を持った「声」の前では一瞬にして霞んでしまう。声こそが神様があたえる本物の才能ではないだろうか。

バンドをやっていた頃、ギターを弾きながら歌ったりもしていたが、自分の声そのものがもう嫌で嫌でしょうがなかった。バンドの演奏が録音された忌々しいテープ。最初のイントロの部分は聴くに耐えれても、歌が始まった途端にいつも逃げ出したくなった。ダメだこりゃ、と。もっとも、自分の声が大好きなどという人はあまりいないと思うが。

遠い昔の曲で、歌詞は憶えていなくても声の輪郭はハッキリと憶えている、ということがよくある。同じように、今まで出会ったきた人との思い出も、いつまでも記憶に残るのは容姿よりも「声」なのかもしれない。あの日あの時あの場所で、何を話したか、どんな表情だったかも忘れてしまったが、自分の名を呼ぶ声だけは脳に、そして心の深いところに刻まれている。

REMのマイケル・スタイプはインタビューで、「僕は電話帳を読み上げるだけで人を泣かせることができる」と言っていた。そこまで本人に言い切られると普通ならばちょっとひいてしまうが、あれほどの美しく哀しい声ならば、きっとそうなんだろうと素直に思えてしまう。全く正反対ではあるが、カート・コバーンのラウドで汚れた声もまた世界中の人を魅了した。

声そのものの魅力というところで、日本のアーティストで真っ先に思い浮かぶのは、山下達郎、井上陽水、荒井由美、そして忌野清志郎。その清志郎が喉頭ガンのため入院、というショッキングなニュースを仕事中にネットで知った。ひょっとしたら二度と歌えなくなるかもしれないというのに、自身のサイトにはいつもの飄々とした、それでいて前向きな自筆のメッセージが書かれていた。泣きそうになった。

夜、テレビを観ながらカミさんとそのことを話していたら、CMで清志郎の唄う「デイドリーム・ビリーバー」が流れた。そして数分後、ドラマの中での登場人物が「どうしたんだい、ヘヘイベイビー♪」と歌っていた。何という偶然だろうか。その後、テレビを消してステレオで「スローバラード」「ヒッピーに捧ぐ」そして「君が僕を知ってる」をかけながら合わせて歌った。きっとあの声を、みんなが待っている。

  何から何まで君がわかっていてくれる。
僕の事すべてわかっていてくれる。
 
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