| 土曜日の朝、映画「東京タワー」を観に行った。公開から1ヶ月が経ち、さすがにもう空いているだろうと神戸国際会館へ。そういえば高校を出たての頃、BOOWYのライブをここに観に来た記憶がある。その当時ですでに古い建物だったが、やはりあの阪神淡路大震災で全壊してしまい、今ではモダンなホールに建て替えられている。映画館もシネコン形式のものになっていた。
後ろの方の指定席に座り前方を見ると、観客はざっと十数人。驚いたことにほとんどが50代60代の老夫婦であった。休日の午前中に、歳をとった夫婦が映画を観に来るって何だか素敵でいいな。ところで肝心の映画はというと、個人的な感想ではあるがサッパリだった。エッセイも含めリリー・フランキーの全作品を何度も繰り返し読んでいる人間にとっては、どうしても原作のインパクトが強すぎて、スクリーンの映像に入り込めない。
おい、あの大事な場面の描写がとばされているとか、その台詞じゃニュアンスが変わるだろうとか、いちいち気になってしょうがない。そして何よりもリリー・フランキーの本質ともいえる、社会に対しての風刺や毒というものが、この映画には全く見当たらないのだ。大好きだった漫画がアニメ化されて、その世界観がすっかり違うものになっていたときの居心地の悪さとでもいえようか。
原作と映像は別物。ましてや、お年寄りまでがわざわざ劇場に足を運ぶような、母と息子の関係性という普遍的なテーマを撮った作品に、毒の要素など必要はない。映画には監督がいて脚本家がいて俳優がいて裏方さんがいて、表現や解釈は人それぞれ。そんなこと頭では分かっているつもりなのだが、う〜ん…。優れた書き手による文章は、その一字一句、そして行間から無限の想像力が湧き上がるが、映像という全てがハッキリと目に見える手段になった瞬間に、その想像力はどこかで上限が引かれてしまうような気がする。
それでも一箇所だけ泣けてしょうがなかったシーンがあった。ベッドの上で苦しむオカンが朦朧とする意識の中で、「冷蔵庫に鯛の刺身が入っとる。それと鍋の中にね…」と、病室を自分の家だと思い込みながら息子の御飯の心配をしている。その横で、もう正常ではなくなってしまったそんなオカンの姿に、たまらず号泣してしまうマーくん(オダギリジョー)。
実はこれと全く同じ状況がいま、ボクのとても身近なところにある。その場に自分は居合わせてはいなかったのだが、こんなにも悲しくて残酷で、やり切れない辛さなのかと初めて分かり、胸が引きちぎられそうになった。その人のことを思い、その家族を思い、そして己の馬鹿さ加減に、ボロボロと涙が止まらなかった。やさしさと思いやりを欠いて、こんなにも無知で無神経な自分は、きっとひとりで地獄行きだ。
|