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たどり着くのは諦念

2007.06.23

色川武大がエッセイで、大病を患ったときに知り合いの医者から「キミ、40を過ぎたら人間何が起きても不思議じゃないよ」と言われた、と書いていた。読んだのは確か20代の頃だったと思う。なぜかこの一文だけはやたらとハッキリ憶えていて、そういうものなのかなとずっと心に引っかかっていたのだが、今年自分が40歳になるにあたって、本当にそうだと痛感するようになった。

実際に、自分の同世代やちょっと上、そしてずっと上の世代も含め、もう何があっても不思議じゃない、何だって起こりうるのだと。誰もが肉体的にも精神的にも様々な問題を抱えながら日々を生きている。それが命に直結するほどの深刻なものかどうかという違いがあるだけで、そしてその違いも一ヶ月後にはどうなっているのか誰にも分からない。みんな「明日は我が身」という言葉が常に頭のどこかにあるはずだ。

昨日、息子と私が大変お世話になった方が亡くなられた。69歳。だいぶお歳だったとはいえ、質実剛健を絵に描いたような方で誰からも慕われていた。それが晩年、度重なる病でガクっと体力が落ち、入院生活での最期の2週間は、元気な頃の面影が全く見られないほどに痩せて衰弱しきっていた。先週家族でお見舞いに行ったときには、すでに傍目からもう先が長くないのが分かり、自分は何と言葉をかけてよいか分からなかった。

それでもカミさんは、以前と同じように話かけ、腰の痛みを訴える師の背中を笑顔で懸命にさすってあげていた。そのとき、あぁこの人には一生かなわない、と思った。なぜこんなにも献身的になれるのだろう。私は病気で弱っている人に対して、自分の気持ちの辛さばかりが先にたってしまい、あのように接することができない。本人の苦しみはその比ではないというのに、なんと最低で自分勝手な都合であるか。夜、風呂場で一人泣いた。

それにしても私は病気が憎い。癌が憎い。人間をここまで変わり果てた姿にしてしまう病気というものが心から憎い。親友を亡くしたときもそうだった。もうたくさんだ。なぜあの人なんだ、悪人は世にいっぱいいるじゃないか。なぜこんなことになってしまうのか、どうしようもないのか。底なしの絶望と無力感、そしてたどり着く諦念。人はみなこうやって何度も様々な「死」を乗り越えていくのか。

 

何も考えない日など、もうきっと来ないと思う。

 
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