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いつからかそうなったのかハッキリとはよく分からないのだが、最近つくづく自分がヤワになったと感じることがある。例えば、行き慣れた大阪のキタやミナミはともかく、あまり知らないような駅前の繁華街、それもちょいと柄が悪そうな場所へ夜、飲みに行ってフラフラ歩いたりしていると、あ〜なんか嫌だな、早く帰りたいな、平和が一番ですよ、てなことを考えてしまうようになった。
むかし高一(16歳)の頃、尼崎のとあるパチンコ屋が閉店前の一時間、つまり夜の9時から10時にかけて玉が出やすくなるという噂を耳にしたボクと親友のゴリは、来る日も来る日も9時からそのパチンコ屋に通い続けた。夜の8時、ちょうどボクが晩飯を食い終わる頃に「お〜い」とゴリが呼びに来て、1時間ほど部屋で一服したり喋ったりした後、さて行くかと奴のチャリンコで2ケツして出発するのだ。ゴリが前でボクが後ろに立ち乗り。ちなみに立ち乗りとは荷台に立って乗ることである。
もちろん今から考えるとあんな旧式なパチンコ台で、閉店前だけ玉が出やすくなるなんてことはあり得ないと思うのだが、なぜか不思議とよく出た。いつも軍資金500円以内と決めて、小箱2000円から3000円分を稼いでいた。それ以上の欲を出さぬのがミソであった。で、閉店直前に換金して、今度はその金で喫茶店に行くのである。11時前まで珈琲と煙草と馬鹿話。どの喫茶店でも決まってアメリカンを注文していた。しかし一体何をあんなに毎日喋ることがあったのだろう。
そのパチンコ屋は阪神尼崎の駅前に位置していたのだが、当時そのあたりは異様にケバケバしく怪しい香りがプンプンしていた。キャバレー・ピンサロ・ソープ・呑み屋・裏カジノ・ヤクザの事務所、そしてパンチパーマの方々や、酔っ払い・売春婦・ヤンキー、少し離れた所に赤線地帯と、まさに何でもありの無法ワールド。ところが16のボクらにとって、それらはいつもの見慣れた光景であり、特に何かに怯えるでもなく2ケツのチャリでその界隈をスイスイ〜と、黒塗りのベンツやセドリックの間をすり抜けながら「今日はどこのサテンに行こか〜」と毎夜ブラブラしていたのである。
今から考えると恐ろしい場面もあったと思うが、世の中のことを何にも知らず、怖いものなどなかったのだろう。若者だけの特権ともいえる無意味でロクでもない日々。夜の徘徊や朝までの麻雀、エンドレスのくだらない会話。そして煙草の灰・灰・灰。何でも出来るような気がしてたけど、結局何ひとつ成し遂げたものは無かった。ときどき、そんな20年以上も前のことが無性に懐かしくなる度に、井筒監督そっくりの顔をした神様が、現在の自分に向かって「今を生きればそれでええやないか」と耳元で囁く。間違いなく歳をとった。
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